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縄文アーティスト「むらかみよしこ」さんより寄稿頂きました!

〜縄文スピリットにおける女性原理について〜 むらかみよしこ

 

日本列島に1万4千年間も続いた縄文時代には大きな争いや戦争が無かったという研究結果が発表されています。そしてあの素晴らしい造形と文様が施された縄文土器は女性たちの手によって作られ、大自然の生命の豊饒と循環を祈り、大切な命をいだく器としてあったということ。器の上にはたくさんの生命の文様があふれ女性たちの魂が躍動しています。ここにはすべての生命を抱く母なる大地とつながり、豊かな大地の恵みをいただき、命の循環の中で私たち人間も子供たちも生かされてあれ!との思いが満ちているようです。豊かな自然と海に抱かれた地理的な好条件があったとしても長い平和な縄文時代はなぜ可能だったのでしょう。縄文に魅せられた女たち・男たちはさまざまに思いを馳せます。命を生み出し育み、そして母なる大地のすべての命とつながる女性原理が縄文スピリットの根源にあるはずです。現代よりもずっと女性の精神世界が重きをおかれており、男性もその役目を果たしながら命を抱く女性原理を尊重し大切にしていたのではないかと思います。母系制あるいは母権性だったのか、男女の役割分担は、集団の規模と血縁関係は、婚姻制度は、祭や葬儀のやり方は、どんな子育てかな、などまだわからない事が多いのですが興味は尽きないです。さ

まざまな解釈や推論、空想が吹き荒れているのも縄文に魅かれ関心をもつ人が増えている証なのでしょうか。

 

さて縄文後期・晩期から弥生時代への移行期にどのような変化があったのか。大陸から稲作・鉄器など新たな文明の利器が流入し、母なる大地は人間の所有・支配下に置かれ、富を生む手段となり競争と争いの時代が始まります。縄文土器に施された豊かな文様はあっという間に消え失せ、実用本位の無紋の土器が作られるようになり、ここからは概ね男性支配の時代になり女は従属的な立場を余儀なくされます。地域により時代の差は多少あるけれど、戦いと侵攻により列島は統一支配下におかれるようになります。現在は

 

北と南、北海道のアイヌ民族と沖縄人だけがかろうじて縄文文化の痕跡を残しているようです。

 

ところで女たちはどうなった?母なる大地につながる心は失われたのだろうか。

 

封建時代の家父長権の強い家制度の中で産む性として囲い込まれて窒息寸前の時代もあった。戦争に行く男たちの銃後を守る母・妻として産めよ増やせよと囃し立てられた時代も。男より能力が劣ると教育の機会を奪われ参政権もなかった事を思えば、戦後男女平等の時代の到来は画期的と思われた。更に男女雇用機会均等法までできたのに、女が働き続けようとする時悩むのが子産み子育て。育休もない時代に保育園と職場を必死で駆けずり回った私の子育て時代からもう40年近くたつのに未だ保育園の待機児童問題やマタハラ問題など妊娠出産育児を巡る女たちの葛藤が無くならないのはなぜなのか。新しい生命を抱き育むほど喜ばしく大切なことはないのに、女たちはいつも崖っぷちで悩んでいる。そして文明の高度に発達した現在、環境汚染が進み母なる大地を疲弊させ破壊進行が進み、核兵器や原発事故で回復不可能なダメージが危惧されている。経済的なコスト優先、核保有による核抑止なる欺瞞の平和を終わらせるため、母なる大地とその生命を守るために、縄文に学び、女たちが力を蓄え女性原理が再び輝きを放つ時代を夢見ています。命こそ宝です。

 

最近テレビの番組で、ヒグマの母子が過酷な環境の中で子育てし生き延びているドキュメンタリーを見ました。必死で食べ物を見つけ子熊を守り乳を与えながら母熊は生きています。時には自分より体の大きなオス熊がメス熊を求めて現れ、子熊を攻撃してきます。母熊は大きなオス熊に敢然と立ち向かい戦い子を守ります。そして海に泳ぎだし子熊を背負い島に渡って何とか危機を逃れます。命の危機をものともせず困難に立ち向かい、子が独り立ちするまで乳を与え食べ物を与え、生きていくすべを教えていく母熊を私は感嘆の思いでみていました。熊のこととはいえ、これが母親の本性なのでしょう。

 

では男たちの本性とは何なのか。私の女の立場からいうと推測の域を出ないのですが考えることがあります。子を身ごもり育む女の性と比べると、精子の論理は女の卵子に精子を届け身ごもらせることです。川を遡上する鮭たちは傷だらけになりながら上流の産卵場所にたどり着き、オスとメスが並んで口をくわっ!と開けて産卵し精子の白いしぶきを放出します。この後死んでぼろぼろの身で川に浮かぶ彼らの命の最終章のドラマは壮絶でありながら心を揺さぶられます。命のバトンタッチはどの生命にとっても最も大切なこと。

 

それぞれの生き物の種類により、交尾期だけ雄雌が接触しメスだけが子育てにあたる場合と鳥などのように雌雄が協力して子育てする場合など様々ですが人間はどうでしょう。男と女がどう関わり婚姻や家制度を構成していたかは、社会の在り方で違っていたようです。

 

しかも人間の場合、社会の価値観で命は重くなったり軽くなったり、命のバトンではなく血筋のバトンが重きをおかれ、男と女の関係をいびつにしていないだろうか。現在に至っても女が商品化されたり隷属支配された時代は過去の話ともいえないのではないか。そしてこんな状況は多分心ある男たちにとっても不本意なはず、と思いたい。

 

「女は家庭、男は仕事」この言葉は私にとって牢獄に押し込められるような響きを感じます。仕事というのは賃金を得るためもありますが、人間にとって自分の能力や創造力を発揮して表現していく場でもあるからです。過労死や格差社会の弊害は言うまでもないけれど、基本的には野良であれ、会社であれ、舞台であれ、お店であれ、アトリエであれ好きなことができる環境に恵まれた人は幸いです。男であれ女であれ、やりがいのある仕事をしつつ子産み子育てができるようお互い助け合うのが一番、と思います。男並みに働いても認められない職場で、妊娠でもしようものなら女はこれだから困るといわれ、女は子育てしながら働いて家事も完ぺきにという強迫観念を強いる男社会は終わりになってほしいと願っています。母熊のように女ひとりで逆境を生き抜き子育てする強さを持ちたいと思い、更に雄雌仲睦まじく巣作りし餌を運んで卵を温め子育てする鳥たちの愛情深さを良いなとも思います。

 

縄文土器・土偶の文様造形が示す精神世界(女性原理)は、ホピ族のいう女性性と相通ずるものがあるのではと、今回の対談・交流を楽しみにしています。

 

「男女を問わず、内なる女性性をリスペクトし直す時が来たのではないかと思います」(ルービン・サウフキー)

 

at 17:00, アナンダラバ事務局, 事務局からのお知らせ

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