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自分との戦いを止める

神戸での宮田さんのお見舞いの後に、一旦京都まで戻り、翌日は一同で新幹線に乗り込み、広島へ向かいました。広島は、ホピの村で採掘されたウランによって作られた原爆が落とされた場所の一つであり、皮肉な事に、この出来事がホピの長老たちを立ち上がらさせ、現代の日本との関係を繋いだと言っても過言ではありません。


元々、私たちが広島に行く予定はありませんでしたが、ランドアンドライフの代表でありました、辰巳怜子さんのご提案と協力により実現しました。


実は、原爆で息絶えた方の原因の多くは「火」によってだと思われがちですが、「水」が多くの方の生死を分けたそうです。辰巳さんは、平和を願う水氏族でありましたルービンに、ホピの村から水を運んできてもらい、戦時中多くの命を救った現地の泉で、お水合わせのお祈りをし、被災者の慰霊を願ったのです。


ルービンに、まず原爆の悲惨さを分かって貰おうと、午前中は平和記念公園の中にある博物館で見学した後に、午後は、広島市原爆慰霊碑献水者を務められ、今日までずっと泉を守り続けてこられた、宇根利枝さんと共にお祈りさせて頂く事になりました。


広島には、約束した時間より一時間ほど早く着きました。私たちは、駅から平和記念公園に向かうため、タクシーに乗り込み、運転手さんに前日の夜に激しい雷が広島一帯に注がれた事を知らされました。ホピでは、雷には色々な特別な意味が込められているそうですが、主に浄化を意味するそうです。


原爆の落下地点で運転手さんの説明を受けながら通り過ぎようとした時に、ルービンが突然降りたいと言いました。博物館のガイドの方にツアーを行って頂く予定だったのですが、それを待たずに、原爆ドームを始め、周辺にありました慰霊碑を、次から次へと足を運び、コーンミールと共に祈りを捧げました。


そして、最後に多くの命が失われた川の側で、通常より長いお祈りを済ませた後、妻の智美の側までいきました。「沢山の命が、この手によって救われる事を願います。」と祈り、持っていた羽を智美の手にかざしました。何故、この場所で、このタイミングだったなのか分かりませんが、その言葉が伝えられました。


そして、有名な貞子像の前で、その理由を語り始めました。


「彼女を含め、犠牲になった方の真の願いは、私たちが平和の中に生きるという事です。それが出来れば、彼らは癒されるのです。貞子さんの想いを綴った歌、「INORI」の詩は、とても美しいと思いました。しかし、私たちが混乱の中で平和を願い、いまだに鶴を折っている姿を見て、貞子さんはどう思うでしょうか?決して忘れてはいけない事は、鶴を折り祈るだけで、平和は実現されないという事です。むしろ、私たちが心配させる事で、彼らを地球の旅立ちから引き留めてしまっているのかもしれません。平和は、今生きている私たちの手によって創造され、行動によって実現するのです。」


ジョーダンが続けてこう言いました。


「私たち人たちが、自分との戦いを止め、心を一つにしないと過ちは繰り返されるはずです。」


そして、慰霊碑の前に添えられていたメッセージノートに、静かにこう書きました。

 

ONE HEART ONE WORLD ONE LOVE

 

智美は、マッサージ師の国家資格を取得するため現在学校に通っていながらも、治療院を開業し子供たちに古来から伝わってきた手技や薬草の叡智を繋ぐという私たちの夢に対して、今までは何度も疑い、心の中に葛藤を抱いていましたが、この一連の出来事で心境の変化があったようです。

at 00:41, アナンダラバ事務局, ホピの生き方と日本の和を語る

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